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武蔵野うどんを食べにおいで

武蔵野うどんを知っていますか、多摩地域のどちらかというと北側にある地粉を使った手打ちのうどん文化。コシが強く、やや褐色の小麦の香りが立つ剛直なうどんです。「うどんと言えば讃岐」だけではないのです。

武蔵野うどんとの出会い


はじめて食べた糧うどんの肉汁

小平市に越してきたころにこの辺りはなんだかうどん屋さんが多いなと気になり調べてみたところ、それは武蔵野うどんと呼ばれているもので、糧といわれる季節野菜が添えられた冷たいうどんを温かい汁で食べるこの地域独自のうどん文化があることを知りました。家の周りにある何軒かのうどん屋さんもまさにこのスタイルで、古くから続いている地元に愛されているお店という感じでした。

そしてそのうどんは今まで私が食べたどのうどんのジャンルにも属さない、褐色がかり、コシが強く、小麦の風味を噛みしめて食べるようなもので、また温かい醤油ベースのつけ汁はシンプルな糧だけではなく、旨味たっぷりの肉汁、きのこ汁などもあり、気が付いたらこの辺りの「うどん」と幟がたっているお店にはついふらふらと吸い込まれてしまうようになっていました。

武蔵野うどんとは


「武蔵野うどん」をはじめに定義されたのはうどん博士として知られる小平在住で国学院大学名誉教授の故加藤有次先生と聞いています。先生の定義は「地粉を使った手打ちうどん」というシンプルなものです。国産の地粉は実は細く皮も厚いので粉にするとき皮の一部を含んで外国産より白くなりきれず褐色がかったうどんになるのです。

古くから多摩地域から埼玉県入間郡にまたがる武蔵野台地では気候や地形・地質などの条件から、水田耕作より畑作が盛んな地域であり、以前は小麦の生産が多かったので、その地粉を使いうどんを打つ習慣があり、とくに正月や彼岸、盆、冠婚葬祭などでうどんをふるまっていたそうです。

うどん文化の伝わりはその地域、地域で諸説ありますが、最近聞いた話では武蔵村山市がかつて織物の町として栄え、村山大島績の反物を扱う織屋がたくさんあったころに、その織屋に地方から若い女性が住み込みで働きに来ていて、その女性たちに地元の生活習慣や料理を教える中でうどん作りはその代表だったとのこと。「嫁に行くならうどんが打てなきゃ、しゃーねー」とうどん打ちを覚え、村山に嫁に来る事が決まれば嫁入り道具に『伸し板と伸し棒』を持って来たというお話もあるそうです。

いろいろなお店


まちの中で栽培される小麦
住宅街にはためくうどんの幟

武蔵野うどんといってもそれぞれのお店によってうどんの特徴や汁の味付けが違い、いろいろな個性を楽しめます。太めや極太、硬い武骨な麺であったり、逆に細めで、柔らかいやさしい麺であったり、小平産、東久留米産、東村山産、武蔵村山産などの地粉で打たれたうどん、また最近では東久留米市が特産化を進めている幻の柳久保小麦のうどんなどもあり、いろいろなうどんの表情に出会えます。

またお店の成り立ちも、もともとは玉売り専門であったお店で食事もできるようになったお店、敷地内にプレハブを建てて始めたお店、地域の広告会社が始めたお店、自宅を改装して始められたお店、靴を脱いで家に上がりリビングでいただくお店などもあります。

そんな武蔵野うどんのお店で共通することは、どのお店も家族や近くに住む親せきなどの手伝いで営業されていて、とても家庭的で居心地がよく、また駅からも遠く交通の便がいいとはいえない住宅街の中にありながら、その場所で親しまれ愛されているお店が多いのではないでしょうか。

にしがわの北側にひろがるうどん文化。武蔵野うどんめぐりに来てみませんか。

2015年02月18日

記者プロフィール

林 雅一
13歳より武蔵五日市、福生、三鷹とにしがわを転々とし現在小平在住。にしがわに住み32年、にしがわ以外でのくらしがまったく想像できない根っからの多摩っ子です。

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