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そこに穴窯があったから

ある日市報で見かけた「清瀬焼」。九谷焼でも瀬戸焼でも有田焼でもなく、「清瀬焼」? 清瀬の焼き物っていったい何だろう?と気になって、活動の様子を見に行きました。

「清瀬焼」の名前の由来


清瀬焼陶芸会の杉本美恵さん(左)、根本綾子さん(右)

一般的には、地名のついた焼き物の特色の一つとして、その土地の陶土を使用していることが挙げられますが、清瀬は陶土の産地ではありません。ではなぜ"清瀬焼"というのでしょうか?

清瀬焼という表現は、「清瀬焼陶芸会」という団体で使用されています。そこで、清瀬焼陶芸会の根本綾子さん、杉本美恵さんにお話を伺いました。

「清瀬焼と言うのは、"清瀬の人が携わっている"という意味が込められているのよ。けど、ただ関わっているということだけではないの。今日まで続けてきた歴史もこめられているのよ。」

その歴史が気になって、さらにお話を伺いました。

清瀬市が建設した「穴窯」


平成7年、清瀬市は陶芸技術の継承や振興、市民の文化活動の発展のため、埼玉県所沢市との境に近い中里二丁目に穴窯(清瀬市陶芸実習場)を建設しました。この穴窯は、1回最大40から50個の陶器が焼けたそうです。

しかし、利用回数は平成7年度が5回、8年度と9年度はそれぞれ2回、10年以降は周辺住民からの苦情もあり使用を停止。

そんな中、平成13年、市教育委員会は、清瀬小学校と清瀬第八小学校の児童や保護者向けに、学校教育活動の一環として、陶芸制作の喜びと楽しみを味わう事業を、この穴窯で実施しました。その際、穴窯の灰をかぶった作品を「清瀬焼」と名付けたこともあったとか。そして平成14年、学校教育活動のほか、定期的に一般向けに陶芸教室を開催することとなりました。これが、現在の清瀬焼陶芸会の原点だそうです。

活動を続けて14年


穴窯の灰で作った釉薬

当時、都内で穴窯があったのは清瀬市だけでした。そんな貴重な穴窯を利用して陶芸が出来たなんて、うらやましい限りですが、24時間体制でメンバーが交代して、昼夜問わず管理していたそう。

メンバー同士の協力がないとなかなか管理していくのは難しかったでしょうし、辛い時もあったのでは?と思いますが、「とても良い思い出よ」と言うお二人。24時間体制だからこそ、明け方の空にカワセミが飛ぶ姿を見る、清瀬の豊かな自然環境も満喫できたとか。また、本焼には釉薬(ゆうやく)を使用せず、窯の前で木材を焚き、火入れから60時間から72時間かけて焼き上げていきました。その中で赤松の薪が灰となって作品にかかり見事な艶と模様を作りだしたとか。釉薬を使った作品とは違って、その色・形・艶など想像がつかず、一つとして同じものがない自分の作品が出来たそうです。

平成15年、用地を返還することから穴窯は閉鎖されてしまいましたが、穴窯にあった灰を今も保存していて、それを釉薬にして活用しているそうです。

清瀬焼陶芸教室の活動の様子

清瀬焼陶芸会は第九小学校を活動拠点としていましたが、その後、第九小学校も閉鎖が決まり、再度活動拠点を探さなくてはならない状態に陥りました。そんなとき、現在の「コミュニティープラザひまわり(旧都立清瀬東高校)」への移転が決まりました。

穴窯の閉鎖や小学校の閉鎖など次々と活動場所を追われてしまっても、その度に運良く次の活動地点に出合えた清瀬焼陶芸会。「陶芸は活動場所がなければできませんからね。本当に有り難いです」としみじみとお話するお二人。清瀬という場所で、ある意味とても幸運に恵まれたのかもしれません。

こうして活動を続けて、早14年。今では市の管理下から離れ、清瀬焼陶芸会として自立しながら幅広く活動していらっしゃいました。

こんなところにも清瀬焼


陶芸というと、"おとなの趣味"的なイメージがありますが、清瀬焼陶芸教室では保育園児への陶芸指導など対外的な活動も熱心に行っています。幼稚園児も小さな手でお皿や小鉢などを上手に作ってしまうそう。

また意外なところにも清瀬焼陶芸教室の姿が!それは、「陶芸婚活イベント」!! 市のイベントにお手伝いし、独身男女を対象とした陶芸教室の開催に協力したとか。カップル成立率も高く、かなり評判がよかったそうです。

そこに穴窯があったから始まった


清瀬焼陶芸教室のみなさんが作った作品

現在は170名近いメンバーのいる清瀬焼陶芸会。様々な意見が飛び交い、まとめるだけでも大変そうですが、現在の活動拠点には、会で購入した電気釜が4台もあり、フル活動していました。

今回お話を伺って、陶芸の楽しさではなく、この活動を続けていきたいという思いの下、自主・自立しながら管理運営を行う市民活動の原点を私は見た気がします。

清瀬という土地に穴窯があったことから始まり、幸運に恵まれ、陶芸する場所を得ることができたみなさん。この幸運も、偶然ではなく、「活動を続けていきたい」という強い想いを持つ人々の手でつかみ取っているような、そんな気がしました。

2015年10月14日|清瀬市

記者プロフィール

鈴木未央(ゴードン)
江戸川区生まれの江戸川区育ち。東京のヒガシガワから2005年に引越。以来、清瀬市在住。お酒も甘いものも辛い物も口に入るものは、皆好物。

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