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ルーテル学院大学の建築

去年の夏、目黒区美術館で開催されていた「村野藤吾の建築 模型が語る豊饒な世界」展にて、懐かしく思い出深い建築模型に出会った。


キャンパスの全体図

結婚して新しい生活を三鷹市の井口で始めた僕は、なんとなく自分の住む環境に慣れてきたころに近くの大学で行われるという学園祭のポスターを目にした。「ルーテル学院大学」というその大学名はそのとき初めて聞いたと思う。

妻とともにぶらぶらと家から歩いて行ってみた学園祭。門の先に広がる芝生、緑豊かな敷地の中にこぢんまりとたたずむ低い作りの校舎にチャペル。想像していた大学の学園祭という規模ではなく、ぐるっとキャンパス内を一周しても一時間もかからない敷地の中で行われていた学園祭。秋晴れの空のもと、なんだかすごく空が広く感じられ開放的な気持ちになったあの日のことが思い出されます。


この建物は国際基督教大学に隣接する、1969年に建築された村野藤吾、78歳の時の作品で彼の代表作の一つと言われています。礼拝堂を中心に、本館、図書館、学生寮、研究室などがつながりながら一つの建物のように広がっていて、コンクリートの塊の低層の凸凹とした外壁にスリットのように入る窓ガラスは子供のころに北海道で見学した修道院を思い出します。

設計者の村野藤吾は戦前から戦後にかけて大阪を拠点として活躍した建築家で昭和の建築史の礎を築いたと言われています。日生劇場、新高輪プリンスホテル、箱根プリンスホテル、都ホテル京都、千代田生命本社ビル(現:目黒区総合庁舎)読売会館(現:ビックカメラ有楽町店)そごう心斎橋本店、日本基督教団南大阪教会、世界平和祈念堂などなどなどと全国で300を超える建築を設計しています。ライバルともいわれる丹下健三とよく比較され、ある意味では戦後の建築史はこの二人の建築をめぐって形成されたといっても過言ではないなどとも言われています。


チャペルの中
学生寮の外壁
中庭と本館
緑地とチャペルとブラウンホール

鋭い夏の日差しが降り注ぎ、セミの鳴き声が響く中、ほんとに久しぶりにこの場所を訪れてみました。受付で許可を取り入館証をもらい校内をふらふらとあのころよりもじっくりと校舎の中を歩きます、増築された建物もありますが低層にまとめられた建物とそのスケール感に緑豊かな校内はおおよそ大学というイメージを払しょくしやはり心地よい。

初めて入ったチャペルの中は自然の光が降り注ぎ、天井が高く、悩みがなくてもずっと座っていたいというような空間です。建築としてみる建物は、垂直に立ち上がる空に伸びる外壁に多種多様な開口部、独立し存在感のある階段室に学生寮の外壁の連続する開口部の収まりとあの時感じた西欧中世の宗教施設を思わせるやはりとてもすてきな建物で、前面の緑地の中で寝転がってずっと眺めていたいそんな建築でした。


ルーテル学院大学の敷地は隣接する東京神学大学とともにもともとは戦前の中島飛行機研究所敷地を購入したICU(国際基督教大学)の敷地であったといいます。そのICUには旧中島飛行機三鷹研究所として使用されていた本館や大学礼拝堂に図書館などヴォ―リーズ建築事務所にレーモンド設計事務所とこちらも日本の建築に多大な影響を及ぼした建築家の建物が残されています。

また少し足を延ばした場所にある国立天文台三鷹キャンパスには有形文化財に登録された大正時代に建築された施設が現存しています。ゆったりと時間をかけて三鷹市にあるその当時の空気を感じることのできる建築巡りをしてみませんか。

2016年10月23日|三鷹市

林 雅一
13歳より武蔵五日市、福生、三鷹とにしがわを転々とし現在小平在住。にしがわに住み35年、にしがわ以外でのくらしがまったく想像できない根っからの多摩っ子です。

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